21. “9月になれば”の、その先に

見えない力は使いこなしてこそ

季節の移り変わりにしみじみする余裕もないまま、9月になりました。
誰かが「2020年9月には社会の大変動が起きる!」的にアジってますが、まずは深呼吸を。

良く観察していると、騒ぐ人は占星術やら暦、干支などあらゆる占術の読みをミックスアレンジしていて、しまいには「今日は乙女座満月で天赦日のスペシャルデー!♪」とかウキウキなさってるだけ。勉強熱心さは敬服の限りですが、ほぼ毎日が何らかのイベントという生活、さぞお疲れでしょうね。

春分や秋分が、昔から大きな“節目”とされてきたことは、意味の無いことではありません。
しかも昨今の状況に加え、夏休みが終わって社会が通常モードに戻ったタイミングでは、変化の一つも無いほうが不自然です。

だからこの際、縁起のいい物事なら何であれあやかろうってことなら、それも自由です。インビジブルパワーの後押しが必要なときがあるから、こぞって初詣にも行くんだし。神社に参拝後、お隣のお寺さんにもお参りしちゃったりとか、ありませんか?
なーに、我々はこの節操の無さにどれだけ救われてきたかって話ですよ。ましてやこのご時世、心の安寧を得ることは、防災グッズ一式入りリュックを買うより先にすべきことのような気がしますが。

満月の昼下がりに……

9月に入ると毎年よぎるのは、オフコースの「♪ああ早く~、九月になれば~Wow Wow……」(「I LOVE YOU」1981)なんだけど、調べたら同フレーズの音楽や映画がけっこうあって驚いた次第。
榊原郁恵「9月になれば」は、奇しくも同年の1981年リリースでした。狂騒の80年代が最初にアクセル踏み込んだようなタイミングですかね。みんなみんな若かった。

ハリウッド映画の“Come September”(1961)の邦題は「9月になれば」。主演のロック・ハドソンとか、今の現役世代にはいちばん距離感のある“映画スター”かも知れません。
60’sのハリウッドは、それまでの黄金期とここからのカウンターカルチャーが入れ替わる、上を下への激動期。なので、同作はお気楽系ジャンルの最後の光芒、みたいなロマンチック・ラブコメというわけです。

ちなみに、相手役の女優ジーナ・ロロブリジーダと言えば。だいぶ後ですがレストランでの食事中、料理に混入した石で歯が欠けてしまい、損害賠償がどうのとかいうつまんない話を、わりとしょっちゅう思い出すんですけどどうしてでしょう。

人が、“何時々々になれば~…”と言うときはたいてい、何がしかの期待や希望的観測を込めているものです。きっとラクになるとか、事態が好転するとか。良くならなくても、何かが変わるかすることに光を見出してきたわけで父さん。

例によって、根拠のない流言飛語に気をつけながら、今宵はお月様のお恵みのオコボレに与りましょうか。
ちなみに、本当の満月は本日9/2の午後2:22。日付といい、2が4つ並ぶゾロ目が意味ありげで、ホノカに意識はしていたのです、実を言うと。ところが、空がにわかにかき曇り……わざわざゲリラ豪雨とか降らさんでもいいのにねえ。これも何かのご神託?

Sheila

20. モノを言うのは目か口か

東西マスク論争の着地点

我々がなぜ、顔の一部になるくらいにマスクと親しんでいるか、それは一義的には「感染しない/させない」ためですよね。
ただその背景には、「ハイこの通り、私はその点を十分意識していますのでよろしく」という、“姿勢”についての承認欲求を巧みに隠した、いかにも日本的な以心伝心での横並び裏メッセージが込められています。
この特殊なメンタルのありようこそ、海外の秀才識者がどんだけ束になって考えても、まず到達できない真相だと思うんですがどうでしょう。

アジア人は目を隠すほうが不安を覚える、だからサングラスはNGだがマスクならOKなのだとか言いますが、我々がそこまで相手の目を見てコミュニケーションしているかというと、いやそれは違うだろと。むしろ、相手を凝視するのは失礼にあたるから、視線は適度に外すのがオトナの礼儀だと教わるくらいだし。

かたやドイツでは、マスク着用の義務化が人権侵害にあたるとして、一部の人々が抗議デモを起こしよったのだそう。感染予防が目的であっても、マスク着用の“強要”が自由の侵害につながる、とはずいぶんな論理の飛躍にも見えます。確かに呼吸はしにくいし、慣れない人が不快な違和感を覚えるのは自然なことなのかも知れませんが。
猛暑で熱中症がヤバかろうがマスクを外さない日本人とは、よって立つ位置から何から、まるで違うってことですね。

サングラスがあと一歩、浸透しないワケ

欧米人は虹彩の色が薄く、黒い眼よりも太陽光で傷めやすいから、サングラスは必需品。この医学的根拠を待つまでもなく、サングラスはファッションアイテムとしても眼の健康を守るツールとしても、驚くほど進化しています。

日本でもおしゃれな人には人気ですが、どこか構えてしまうのか、はたまた照れくさいのか、もう一つ気軽な“こなれ感”に届かない印象が……UVの有害性を必死に説いても、一向にハードルが下がらないのって何でなの。カッコいいのに残念。
もしか、“慣れないモノ”を受け入れ難いのだとしたら、マスクに拒絶反応を示す一部ドイツ人の心境とどこかで通じているのかも?

映画やドラマで永遠の定番となったサングラスは、まず『ダーティハリー』(1971年)でC・イーストウッドが着用したレイバン〈バロラマ〉。やや最近ならドラマ『CSI:マイアミ』(2002~12年)でケイン警部補のアイコンにもなった、シルエット〈TMA〉を推したい、個人的に。
女性部門なら、『ティファニーで朝食を』(1961年)でA・ヘップバーンを輝かせた、ごっつい黒ブチのレイバン〈ウェイファーラー〉以外に無いでしょう。

つい先日、渡哲也氏の訃報で思い出したのですが、『西部警察』の大門圭介と例のサングラスの組み合わせは、殿堂入り決定ですね。日本人には高難度のティアドロップ型が、いかにもあの当時の空気感(自由に想像してください)満載の強烈さで迫ってくる。
ちなみに最近の同タイプはデザインもずいぶん洗練されていますが、今、ヘタに金ブチとか気取ると「西部警察コス?」とイジられるとの情報があるので、取り扱いにはくれぐれもご注意を!

Sheila



19. アベの声明から一夜明けて

特別な夏の去り際に

昨日のこと。第98代内閣総理大臣である安倍晋三首相が辞任の意向との第一報が伝わったとき、政界関係者や報道陣は、とにかくビックリした驚いた、予想しなかったと口を揃えて騒ぎました。
しかし、最近の冴えない顔色はお世辞にも元気いっぱいには見えなかったので、私はむしろ「ああ、やっぱりな」という感想しかありません。

政治家さんの場合、たとえ噂であっても、健康不安は政治生命に直結する大問題です。軽い治療での「入院」に尾ひれが付いて“命取り”になる可能性もあるほどだと言います。
そのため、今回この種の情報が前もって大々的に流れるのはかなり珍しく、それだけに事態の深刻さがうかがえる出来事ではありました。

記者発表のニュース番組内では、最初の首相就任当時、2006年の映像が何度も流れましたが、改めて見ると、彼も若かったんですねぇぇ!
長らく、年齢のわりに髪があまりに黒々していて「怪しい」なんて言われてたのに、このところ急に白いものが増え、めっきり老け込んだ印象。昨今の非常事態にあって、国家元首として陣頭指揮を執るストレスの大きさについてだけは、コチラも理解しようと鋭意努力中ですが。

〈アベノマスク〉が残したツメ痕

かつて安倍氏が打ち出した経済成長戦略〈アベノミクス〉は、そのネーミングセンスで国民を呆れさせました。対して、コロナ対策における〈アベノマスク〉は、俗称であるにも関わらず、秀逸なパロディセンスに唸らされます。歴史に残るのは、たぶんこっちのような気がしますね。
ちなみに別の派生語〈アベノフォン〉って、覚えてる人いますか?

しかしヒドかった、届いたマスクの現物ときたら。まず、サイズがあり得ないレベルに小さい。昭和の昔の学校で、顔の大きな男の先生が、口だけ覆えるちっちゃなガーゼマスクを無理やり着けてた姿が思い出されて切ないんですよ。
さらには、衛生用品にあるまじきゴミやら虫の混入とか。何なの。巨額の公費を投入すべきはそこじゃないって言ってんのに!

アピールポイントは「洗ってまた使える」ことだけで、飛沫もウイルスもダダ漏れしまくりのガーゼマスクを見せられたときの脱力感たるや。
誰の主導か知りようもないが、100年前のスペイン風邪から1ミリも動いてない感覚の持ち主が、お役所には今もわんさかうごめいていることだけは、よーく分かりました。

今はただただ懐かしい、キャン違い動画コラボ

星野源の在宅キャンペーン動画『うちで踊ろう』乱入干渉の失態も、ガーゼマスク好きな側近の入れ知恵疑惑が払拭できていません。
お坊ちゃま育ちの安倍氏が空気を読めなかったんだとしたら、ある程度仕方がないことかも知れない。だから、公人として投稿する前にチェックするのが側近の本来の役割だし、炎上の際の責任もそっちにあるんではと。

しかし周りの人間までガーゼマスクどまりのセンスだったんじゃ、どう転んでもああいう結末にしかならんというものですね。
なので、海外ではたまに聞く“粋な計らい”的なイイ話を、ウチの政府に求めてもムダってこと、これもよーく分かりました。

コロナ以降、ことごとくボタンを掛け違えてばかりで、少々お気の毒ではある安倍氏。グレーな話題もいろいろあってしかも放置なのはアレだけど、お疲れなのは事実だし。まずは療養ですかね。
政界の世代交代などは、さすがにまだまだ先の夢物語かも知れません。
だとしても、万事が急速に変わりゆく時代に、私たちは紛れもなくこうして在るのです。

Sheila