31. 危険なウエ様

時代劇はなぜクセになりやすいのか

民放テレビのゴールデン枠から、時代劇シリーズを見かけなくなって結構経ちました。
国民的なテレビ時代劇と言えば、かつては平日午後にTBSが、安定の王道シリーズ『水戸黄門』と『大岡越前』を交互にオンエアしてましたっけ。そう聞いてしんみりする人は、すでに一定以上の年齢層になってしまったかしら。

ところで一時期、これら再放送時代劇が象徴する平日16時台は、別名“老人と失業者の時間”とか言われていました。マジで言い得て妙……夕飯にはまだ早い、本当にど~にもしようがないこの時間帯、家でヒマしてるのは高齢者とプーぐらいですからね。あ、もちろん自分も含めての話です。

「あれ~、これ観たことあるよな」と気づきながら、印籠出すとこが見たくて最後まで観ちゃう。大団円で終わると分かってるけど、寛大なお裁きを期待して観ちゃう。ハッピーエンドが前提だから、途中からでも安心して気軽に観ちゃう。
孤独な人の心のスキマにスッと入り込み、やがてルーティン化する……これら、クセになりやすい明るめテイストの時代劇コンテンツを、“アッパー系時代劇”と命名するぞ勝手に。

暁を蹴散らして進む、令和の時代劇

テレビの時代劇はいったいに照明が強く、画的に明るすぎておかしいという意見があります。確かに、行燈やローソクしかない時代、夜道があの明るさってウソだよね、とは私も思いますよ。
しかしそんなクレームもどこ吹く風、全編あり得ないまぶしさ&能天気な明るさで押し通す、アッパー系時代劇の金字塔、それが午前4時に復活したテレ朝〈おはよう時代劇〉枠の『暴れん坊将軍』シリーズ(再)です。

全エピソードが能天気な話ばかりではないものの、画面=“照明の明るさ”にかけては、あらゆる時代劇中で断トツなのは確かです。ウエ様という立場は、いわば王様と同じ。つまり最初から勝っているので、戦う必要がない。だから画面にも物語にも、ことさら陰影を強調する必要はない、そう言われてる気がするんですが。

個人的には、第VIII部の鶴姫(中村あづさ)とややこしくなるシーズンが、画面照度ともども最高潮に華やいだ印象を持っています。何より、ウエ様を振っちゃうスパイシーな結末が悪くないでしょ。
主演の松平 健(今ごろ言及か)は、名優というより“看板役者”のタイプ。演技力の巧拙ではなく、顔と名前でお客が入るって、これも役者としての得難い才能には違いないわけで父さん。


テレビ通の友人は、同番組の早朝再放送について「あれは危険。(最後まで)観ちゃうのよ」と真顔で評していました。
その通り、終盤の「余のカオを見忘れたか」に始まるチャンバラと、エンディングの「~と願う吉宗であった」のナレまでをセットとする暗黙の様式美に引きずられるのか何なのか、気がつくと5時のニュースワイドに誘導されてます、と、この際だから白状するね。

そうするうちに今宵もまた東の空が白々と……夜明けのウエ様は危険な香り。
そうだ、CM前のアイキャッチ。片肌脱いで矢を射るウエ様を見るたび、この頃からライザッ○やってりゃよかったのにね~、と思わずにいられない……余計なお世話すぎでしたハイ。

Sheila