36. そして誰も、いなくなったの?

どんなに先のことだと思っていても、“その日”ってやって来るんですよねえ、必ず。
新型コロナウイルス禍で1年延期された東京五輪も、そんなわけでついにとうとう、ちゃ~んと目前に迫ってまいりました。

招致決定からこっち、準備のことごとくがこれほど異例づくしの大会も無かったでしょう。
大会エンブレムのデザイン盗用疑惑、新競技場設計案の白紙撤回あたりは、忘れてる人も多そうだけど。
大会組織委員長Mの失言辞任ほか、人事関連の不祥事&騒動が今こうしてる間にも続いているとは、立派な異常事態と言って差し支えありません。

ただ主催者側は、感染状況のいかんに関わらず、常に九分九厘、開催ありきで進めていたと考えるのが自然なんでしょうね。
尾身 茂分科会長ら専門家が反対し、他の民間イベントや修学旅行が中止になっても、五輪だけは別とする特権意識に違和感を覚えない人はいないと思いますね、国民もバカじゃないんで。

バブル方式だの無観客だの、どんなにイビツな形になろうが構わない、開催こそがアスリートファーストだという理屈は、いくらなんでも謎すぎです。

普通ならここで呆れるところだけど、何かもう、みんなくたびれちゃってどーでもよくなってませんかね。
だって延期決定から1年以上もずーっと、五輪モチベを保ち続けてなきゃいけなかったわけだから。
そりゃ限界きてても、おかしかないって。

晴れやかだったはずの東京五輪の舞台が、ここまで哀れに荒れ果ててしまったのは、一体誰のせいなのか。
いや表現に語弊があるなら、よーするにケチのつき始めは何だったのかを辿ってみたんですよ。

そしたら、2013年の五輪招致にまつわる贈収賄疑惑にぶち当たったわけで父さん。
当時の竹田恆和(つねかず)JOC会長は、潔白を主張しつつも引責辞任し、真相は今も闇でモヤります。
しかしそれ以前に、「袖の下でズルをして(いたと疑われて)手にした開催権なんて、そもそも無効なのでは?」という疑問のやり場に困るんですよねー。

東京が、2020年五輪の招致に敗れていたら、今の状況はどうなっていたかを想像したことのない人は皆無でしょう。
ひょっとして、東京でやるべきではなかったのでは?
東京が開催権を獲得したことは、間違いだったのでは? ……

準備段階でのくだらないつまずきや不愉快なニュース、深まる落胆で、日本国民は五輪に対してすっかり冷淡になってしまいました。

五輪だ五輪だ、世界中から客が来るぞ、と商機を見込んであれもこれもと欲張ったら、そのほとんどはシャボン玉みたいにはじけて消えちゃった。
これが何かの罰だなんて思いたくはないけど、誰かを恨みたくなる気持ちはよく分かります。

しかし、招致時に7,340億円だった予算が、感染防止対策費含めて最終的に1.6兆円にも膨らんだと聞いて、もはや我々に成す術はなく……

一番気の毒なのは、出場選手の皆さんであることは間違いありません。
ただこれも、我々にできることなどマジでナッシングなのが歯がゆい限りです。

無駄に暑い7月の日本、その熱気とうらはらな温度差を解消してくれるのは、出場アスリートのガチな闘いぶりだけ。
観客席が空っぽなんて悲しいけど、こういう時こそ、日ごろ鍛えたハガネのメンタルがモノを言うと信じようせめて(何言ってんのかそろそろ)。

そしてやはり叫ぼうみんなで!
せーの、ガンバレぇ~、ニッポ~ン……!!(ぐったり)

Shiela

32. それでも電車で化粧がやめられへん人へ

ゴリ押しで手にした? 〈電車内化粧〉の市民権

Eテレ「0655」でブラマヨが歌う愉快なオリジナルソング『電車で化粧はやめなはれ』が、今朝フト頭に浮かんだのですが、……えーっ! これ初出は2012年ってマジ???

つまり〈電車内化粧〉行為の是非については、8年を経た今もなお、ヨロンが着地点を見出せていないことを意味しているわけで父さん。
毎朝の通勤電車にすっぴんで乗ってきて、堂々とひと通りのメイクを終えるあの度胸、まず絶対にHSPじゃないよねwwwww。


化粧を身支度の一環とするなら、公衆の面前(これ死語か)で着替えや洗面、歯磨きするのとどこが違うのか、長年疑問でした。身支度って基本、“自分ちで済ませる”が前提だもんね。
ところがそんなアゲインストな世間の視線もどこ吹く風、小難しい比較文化論やジェンダー論も薙ぎ払う勢いで、今や〈電車内化粧〉はそれなりに市民権を得た……と認めたくはないが見慣れた風景と化した印象は否めません。

人前での化粧行為に抵抗を感じない層が増えた原因として、思い当たることが一つあります。
現代の女性誌やネットには、メイクアップアーティストによるプロセス画像や解説動画などの情報が、わんさかあふれています。そこへ「化粧は人前でするもんじゃないよ」と教える人が誰もいなかったとしたら……
化粧行為そのものを、“ステキでおしゃれなこと”と捉える若い人が増えるのは、むしろ自然なことなんじゃないでしょうか。

今どき、女性に化粧やハイヒールを強要する職場にいるのなら、そういうトンチキな慣例を撤廃させる方向にアクションを起こすのがスジってものですが、そのテのめんどくさい話は別の機会に譲るとします。
ただ、よく聞く「残業続きで疲れてる」「化粧しないと上司に注意される」等々の主張は根本が他責志向なので、このままでは何ひとつ解決しませんよね、たぶんね。

衝撃の事実だけを述べます

電車内でわき目もふらず化粧に励む女の中には、絶対と言っていいほど、美人はいません。
本当の美人の、本当にスゴいところは、絶対に“手の内を見せないこと”だからです。彼女らは見えないところで日々研鑽を積んでいる(かどうか知らないが)のであって、オフィシャルなシーンでのタブーを決して破りません。まあこれ、戦略でもあるけど。
美人とそうでない人の差があるとしたら、顔の造作ではなく、そうした美意識の在りようとか誇り高さ、自律性に着目すべきなのです。

一方、手の内を大サービスで見せまくる〈電車内化粧〉派を観察していると、マジで例外なく、ポーチやアイテム、ツール類が汚いっ……ウゲッとなるくらい、汚っ!!
粉類は飛び散るのでケースが汚れやすいのは仕方ないとしても、彼女らはとにかく手にした道具もコスメも、すべてがいったいに薄汚れています。

それより何より、飛散物を浴びる周囲の人間の身にもなってくれよって話ですが、私物のメンテにも気を配れないヤツに、他人への配慮を期待するほうがどうかしてましたねハイ。


それから。女性は“ちょっとスキがある”くらいがモテの秘訣と言うけれど、手の内を百パー見せちゃうって、なんぼ何でも危険すぎやしませんかと。
化粧行為って、実は様々なメッセージを発しています。不特定多数の視線の中で全方位にスキを見せることの危うさを、該当する人にはちょっとでいいから考えてみてほしいのです。
物騒な事件が頻発する昨今の都会では特に、ローバ心からそう思うのです。

人前で考え無しに無防備な姿をさらすと、自分を守っているバリア=“結界”が崩れる、とも言います。
結局のところ、〈電車内化粧〉で一番損をするのは本人自身だという事実に気づいた人から、幸せになれる。つまるところは、そういうことのようです。

Sheila

30. 〈他人軸〉のルーツはこんな所にもあった

悲壮感にくるまれた女たちの持病

NHKの朝ドラは、昭和を中心とした主人公の一代記が圧倒的に多いため、戦時中の描写は避けて通れないのが宿命なのでしょう。
現在放送中の『エール』も例外ではなく、特に〈国防婦人会〉(以下〈国婦〉)という戦時コンテンツが外せない要素としてインパクトを残しました。

歴代作品を振り返っても、ジブンらしく生きたいヒロインの対立軸として、白かっぽう着にタスキがけの女性集団が登場するシーンは、もはや共通のお約束です。
全員が異様な“制服”で身を固め、華美な装いや化粧などはもってのほか、我々こそが絶対善であるとの悲壮なる信念のもと、憲兵並みに硬派な態度でゴリゴリ圧をかけてくるんですよねえ。ぐわああ。

当時、“銃後の守り”のスローガンのもとに、一般家庭の婦人がなぜああまで強固に結束できたのか、そこには尋常ならざる時代の思想統制や、ドラマ演出上の誇張表現も念頭に入れる必要はあるでしょう。
しかし視聴者をモヤッとイラっと、そしてげんなりさせるのは、毎度コワい女たちが束になってヒロインをいじめて孤立させるから、だけではありません。

贅沢は素敵なのに

あのねえみんなそれどころじゃなくてガマンしてるのに、アナタだけ何なのよ。贅沢は敵だって知ってるわよねえ。みんなお国のために必死で頑張ってるのにアナタだけ好き勝手にふるまうって、それ非國民のすることよ。ああそうなのそーいうつもりなら通報するしかないわねえだってみんなと同じにしないアナタが悪いのよ……

……何これ、何か強烈な既視感……今、マスクせずに外出しようもんなら、同じ目に遭いそうですよねえ。
つまり〈国婦〉的な活動は、戦時という狂気の時代に限った話ではなく、今でも〈国婦〉体質な人物は一定数存在する、という事実にご注目いただきたいのです。

とにかく根が真面目すぎるのは百歩譲るとしてもだよ。ルールを死守し、ちょっとの逸脱や異論も絶対に許さないって、どういう世界観で生きてるのか。連帯感にこだわって、制服だのアイテムだのの“お揃い”が好きすぎるってのも共通してるし。

そのうち無意味な暗黙のルールがどんどん増えて、自らががんじがらめになっても、誰一人異論を唱えない。果ては違反者に制裁を加えるとか暴走するあたり、ママ友やPTAの悩み相談かと思うじゃないですか。
いわゆるコロナ感染者への誹謗中傷も、あれは性別不問で“国婦病”をこじらせきった輩の狼藉と考えると納得がいくわけで。
まあはっきり申し上げて、迷惑ですよね。

社会学では、〈国婦〉的な気質はそのまま“B層”と呼ばれるクラスタに当てはまります。
テレビの報道ならほぼ信用しちゃう、セレブの薦めには秒で飛びつく、人気スポットでは何時間でもおとなしく並んで待つ……等々、いわゆる〈他人軸〉の好サンプルですね。
公権力への盲信傾向と他律性が顕著な〈他人軸〉は、まさに〈国婦〉気質のアップデート版にすぎない。そのように見えてこないほうが、どうかしてます。

〈他人軸〉が敗北を喫したあの日

戦時中の〈国婦〉メンバーが、大本営発表をどこまでピュアに信用していたかは謎ですが、ある程度意識的に「信じることにして」いなければ、強い不安のもとでモチベーションを保つことは難しかったでしょう。
ただそこを酌んだとしても、国民の大半がお上に盲従し、沈みゆく船から逃げ出すことがついに無かった過去を持つのが、日本という国なのです。あの敗戦の悔しさとやるせなさの根源は、疑念を抱きながらも〈他人軸〉な価値観にすがるしかなかった哀しき国民性にもあるように思えます。

もう一つ。当時は軍部が〈国婦〉をおだて上げて巧みに利用した側面も忘れてはいけません。言い換えれば、これほど御しやすい存在を利用しない手は無かった。ここは非常に大事な部分として強調しておきます。

そして現代の“B層”もまた、同じ理屈で常にお上からタゲられてるんだけど、彼ら彼女らはまず気づいてない。いやそれ以前に、とても忘れっぽいので、失敗から学ぶとか期待するだけムダなんですよね。

今回の朝ドラでは、俗に言う“コロナ後の二極化”が、図らずもベタな形で可視化されました。この天啓にも似た体験のおかげで、マジで1年前にすら戻りたくない、あれは戻っちゃいけない世界なのだと、心底思わずにいられない私です。

Sheila

◆参考文献:適菜 収『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』(講談社α新書)他