08. テレビを棄てろとか言う奴に

“アイテム指定型”アジテーターにご用心

「開運するには、コレを今すぐ捨てろ!」的なアジり動画を、ときたま見かけます。
使ってもいないソファなどがあるなら、確かに処分してもいいのかも。部屋の半分ほどを占拠するソファをなぜかわざわざ置く人が多いの、謎すぎです。

お節介を承知で私からもアドバイス。「絶対要らない○○つのモノ」「○○を持ってたら秒で捨てて!」のような“アイテム指定型”言説は、どれも乱暴だし余計なお世話なんですよ。なので、言われてそのまま従う前に「自分はなぜこれを要らないと思うのか」をじっくり考えて判断しないと危険です。考えなしに手放しちゃうと、高い確率で後悔します。

ところで、ミニマリストっぽい人って、やけにテレビを捨てることを勧めてきませんか?
漫然とテレビを眺めてる時間を他の大切なことに使える、だからユーも捨てちゃいなよとか。
あんまり圧が強めなので反発を覚えるのもそうですが、そもそもテレビってそんなに悪いモノなの?

情報インフラとしてのテレビの価値

以前、自宅にテレビが無い友人は、数日前に国内で大きな災害が起きたことを何も知らずにいました。社会人としてもそうでなくても、さすがにこれはまずいのでは、と思った次第です。

ネットに比べ、令和のテレビは劣勢気味に語られたり、しょっちゅう批判の的になったりします。それでも、テレビから得られる即時性の高い情報は、何だかんだで最強です。
特に今なら、新型コロナウイルス関連の最新情報について最大のソースはやっぱりテレビですもんね。
ネットは好きな情報だけ拾い読みして終わりやすいのが欠点で、そこが新聞やテレビと大きく違うところです。

静かに考え事をしたくなったら、遠慮せずリモコンの電源ボタンを押せば即黙る。テレビのこの聞き分けの良さを、もっと評価してやってはどうでしょう。要は、自分でコントロールすれば済む話なんです。

「テレビを捨てたら、マジで生活変わった!」とかイキってるヤツは、ガン無視でOK。自分は今までテレビごときに操られていましたとバラしてるようなもんです。
今とこれからの社会で生きていくのに、テレビと決別するのはデメリットのほうが大きい。少なくとも私はそう考えます。
めんどくさい意識高い系に絡まれたテレビっ子の皆さん、負けちゃだめですよ!

Sheila

07. ミニマリストさんたちの黄昏

世界は要らないモノであふれてる

今春の自粛期間中に〈○捨離〉に目覚めた人が増えたのは、自然の成り行きでしょうか。
まあ基本、無くても困らないモノだらけだから、8割捨てても案外やってけるという意見にはおおむね納得ですが。

いわゆる〈ミニマリスト〉が登場したときは、そこそこ話題になりました。徹底的にモノを排除するガチ系ミニマリストの部屋にはあるのは、ローテーブルとノートPCくらい。8割どころか9割5分以上をそぎ落とした、不動産サイトの空室情報ページみたいなビジュアルがインパクト大でした。

デジタルネイティブ世代と重なるのか、そうしたミニマリストさんはIT活用のスキルに長けた情報通が多いため、私物は持たずにWebサービスを最大限に利用することで、“高度にムダを排除したミニマルな暮らし”を構築・管理・実践していたわけです。少なくとも去年までは。

言わんこっちゃない、と言われんように

今年に入って、コロナ禍で社会全体が一気に停滞したとたんに詰んでしまったのが、生活の大半をアウトソーシングに頼っていたガチ系ミニマリストさんたちです。
緊急事態宣言発出直後の一時期は、外出の自粛に始まり、飲食店も休業していたから、食料の備蓄がない人はまず食べることに窮した可能性があります。
デリバリーや家事代行サービスも休業や時短営業など、以前のような利用はかなわない状況があったと思われます。

流通やITが滞りなく機能していることが大前提のミニマリスト生活は、非常事態の前にはまことに脆くて危ういのです。家事を外部に丸投げするのは自由ですが、そこは再考する時期かも知れません。
たとえ面倒だろうが、生きるために必要なものごとは、必要だからこそあるわけで。生身の人間が家事を避けて生きられると思うなよ、と。

ミニマリストさんの備蓄嫌いは理解しますが、イザというときの備えが活きるのってこういう時なんですよ。対極に位置する備蓄重視の〈プレッパー〉とかいう人たちも、また行き過ぎが心配になりますけど。
最近は、ミニマリストらしい備蓄スタイルを模索し始める動きも聞かれるので、いいバランスに落ち着かれることを祈ってます。

それでもなお生活臭の無い暮らしにこだわるガチ系ミニマリストさんは、お金持ちよろしくホテル住まいをすればいい。万が一の事態でも、おそらく食べる心配はせずに済みそうですよ。

Sheila

06. いわゆるレジ袋の問題(2)

二次利用に見るレジ袋の底力

一度使ったレジ袋は、多くは家庭内でストックされて再利用を待つか、廃棄もしくは資源回収に出されていたと想像します。
ストックする際、きちんと三角形に折りたたんで収納する人から、箱や袋にグシャグシャ押し込む人まで実にいろいろ。ちなみに私は後者でした。

レジ袋のスゴいところは、二次利用の用途が広いこと。見た目を気にしないなら、再び荷物を入れて持ち運べるし、弁当ガラ(この語、今どき通るかな? 食べた後の容器ゴミのこと)や包装材をまとめて捨てるにも好都合です。
いろんなシーンでなりふり構わず働く、それがレジ袋の使命で宿命だったと。

「もう一度、使ってから捨てる」のなら罪悪感が減るのかどうか知りませんが、レジ袋の二次利用なら、やはりゴミ袋としての使い勝手が抜群だと思います。
真面目な話をしますと、在宅介護の現場では、口が縛れるレジ袋は何枚あっても大歓迎。または赤ちゃんのおむつやペットのトイレゴミなど、廃棄物の処理には他の追随を許さない活躍ぶりでした……過去形で絶賛するのはなぜ。

今、いちばん大切なこととは

プラゴミ削減で環境保全を、と聞けば有意義ですが、プラ製品全体に占めるレジ袋の割合はせいぜい3~4%程度。政府もあくまで啓発目的だと公言しており、一部には効果を疑問視する声もあります。
個人的には、今さら有料化の是非を問うつもりはありません。しかし施行のタイミングが悪すぎたのは事実でしょう。

世間がコロナ禍で混乱しまくってる7月の初めに、多忙な食品スーパーやコンビニでは、透明シート越しに袋どうしますかとか、2円だ3円だとレジで手間取って、しまいにキレる客とかも出てきて地獄絵図だったじゃないですか。いやちょっと盛りすぎか。

さらに間の悪いことに、使用済みマスクの安全な廃棄にレジ袋は最適だったとか、今さら聞きたくないから。感染予防が最優先とされる今は特に、店舗では使い捨てのレジ袋を供するのがコロナ対策としても正解のように思えるんですがねえ。
頭が固いというより、現実を見ようとしない頭の悪さにイラっとします。

環境にやさしい素材が理想なのは、みんな百も承知。しかし優先順位を間違ったのでは、みんなが不幸になるだけです。
過渡期には何らかの不自由や不都合がつきものと割り切って、柔らかいアタマで、当面はあれこれ工夫しながらしのいでいくしかなさそうですね。

Sheila