15. 不要不急の牙城・カラオケ店を使い倒せ

カラオケ好きに冬の時代

コロナ自粛のあおりをまともにくらった業種の一つが、カラオケ関連の店舗でしょう。
一人カラオケ、いわゆるヒトカラ愛好家といたしましても、春からこっちのこの状況はまことに憂うべき事態であり、先のことを考えると強烈な不安からドーキイキギレメマイがしてくるのです。

密室にグループで長時間ステイして、マイクに口つけて大声出しながら大皿で飲み食いするとか、アンチ3密の見本と言われりゃぐうの音も出ませんわよね。
ヒトカラは他人からの感染リスクは無くても、マイクやリモコンがハザードアイテムに……ここまでデメリット尽くしの娯楽も、ちょっと無いのかも。

一時期、恒例の常連さんが集う地方のカラオケ喫茶が、感染クラスタの発生拠点になったとして問題視されました。起きたことは残念ですが、得意な歌を歌ったり、顔なじみとのおしゃべりが何よりの楽しみという皆さんのお気持ちはよーく分かるので、そこは責めないであげてほしい、それだけです。

カラオケ上達の極意は“ぼっち慣れ”

なぜか恥ずかしいとか、受付で断られたらどうしようなど、ヒトカラは最初の一歩に勇気が要ったものですが、一度やってみたら何のことはない。好きな歌を遠慮なく選べるし! 同じ曲を何度でも歌えるし! エコーでも何でもお好きなだけどうぞの世界。好きだけど難しい曲を練習するには、結局一人で行くしかないんですよ。

キーが分からなくて選ぶのを躊躇してる曲って、結構ありませんか? そんな自信のない難曲は、勝手に高低やテンポを調整しまくって確認すればお悩み解消。採点がイマイチでも、誰も聴いてないからドンマイ気にするな。マイク無しで歌って地声を鍛えるのも十分アリだと思います。

リモコンの選曲リストから懐かしのナンバーを拾って、楽しかったあの頃の思い出に浸るとか、歌詞のうろ覚え部分を画面で見て感慨にふける等々、楽しみ方は無限大。
ちなみに、2時間やそこらじゃ絶対に足りないので、できればお得な平日昼間のフリータイム利用を超強力におすすめします。……って、老人かシツギョー者に限られますかねえ。

人前で歌う用の無難な十八番ばかりじゃ、いい加減飽きるというもの。レパートリーが増えたら、急なお誘いにもどっしり構えていられるってもんです。
……でも待てよ。誰かの発案でうだうだしつつもやっぱりカラオケで二次会、とかのあの流れ自体が、そもそも復活する日は来るのかどうか、って話になるわけで父さん。
今はただただ、あの頃が懐かしい?

Sheila

14. 令和の夏サバイブに欠かせないモノ

あるのに使わない、その理由

若さのテーマから一転、今回はこの時期になると増える高齢者の〈熱中症〉についてです。
今夏はことに35℃を超える異常な高温日が各地で続き、熱中症で救急搬送された人は8/10~16の1週間で1万2,804人(総務省消防庁、速報値)、うち高齢者が6割を占めていました。

この暑さだし、決して他人事と捉えるべからずなのはごもっとも。ですが、とにかくびっくりしたのは、この暑さにも関わらず、屋内での死亡者のうち8割以上が「エアコンを使用していなかった」ケースであることです。
その中でも、エアコンがあるのに使用していない、あるいは使っていたのに故障していたなどと聞くと、時間を戻せないものか、と思ってしまいます。

室温そのものを下げるには、今のところエアコン以外に方法はありません。よって、現代日本の灼熱地獄を、そうした人々がどうやってしのいでいたのか、若年層には理解しがたいのではないでしょうか。
ですがこれ、高齢者と同居されてる方なら多分お分かりでしょう。高齢者は、暑さの知覚が鈍るので、30℃を超えた室内でも長時間平気で過ごしてしまい、自覚症状のないまま倒れてしまうのです。

アンチエイジングはアップデート機能のフォローから?

公的機関やマスコミが、そのへんの注意を力いっぱいアナウンスしているにも関わらず、「身体に悪いから、寝るときはエアコン切っとくの」、「自分は暑さには強いんだ」とホコらしげにインタビューに答えるご老人を今日の報道番組で見るとは、ダブルでショックでした。
情報、伝えるべき人に伝わってないじゃん……ダメじゃん……!

「夜は窓開けて、扇風機回しときゃ大丈夫」って、それ昭和の時代の話ですよ。いやいや昭和だって、真夏はほぼ毎晩、寝苦しかったけどなあ。サザエさんのネタにもあるくらいだし。
そして平成を経て令和の夏は、ハンパないレベルにグレードアップしてる。かつて贅沢品だったエアコンも、今や必需品中の必需品。その事実の書き換えがどうにも進まないのが、高齢者のツラいところなのです。

エアコンアンチ高齢者は、電気代の心配をしてみせる根底に、エアコンなんぞというゼータク品に染まることへの“罪悪感”を持っています。現状認識が正しくないのも十分ヤバいのですが、この時代錯誤な罪悪感を払拭できないうちは、熱中症による救急搬送の出動数はまず減らないでしょう。

笑って済ませられることなら、自由にすればいい。でも、行動によって防げたはずの悲劇がこうも毎年繰り返されるってことは、もっとバッポン的な見直しが急務なんではないかな、と思う次第です。

Sheila

11. 渋滞はビールの肴でしかない、という話

渋滞中継が消えた日本の夏

この夏がいかに特異であったかは、高速道路の渋滞情報が無かったことで十分に伝わります。
わが国では大人の夏休みがお盆に集中しがちですが、あれほど渋滞が事前に分かっていながら、なぜ皆が一斉に家族で出かけるのか。純粋に、昔から不思議でした。

道路には、サグ部や料金所などいくつかの渋滞ポイントがあります。しかし、夏はお盆、年末年始は正月に、多くの人が照準を合わせて行動することも大きな原因です。
数十kmにも及ぶ渋滞にはまることについて、「誰も好きでやってるわけがないだろ!」とお怒りの向きもありましょうが、客観的に見てですね、「それ、好きでやってるんでは」と映る可能性は十分ありますよ。あるいは、「なーにこれも帰省の醍醐味さハハハ」と楽しんでるとか。どちらにせよ、傍観者にとっては「やれやれ、またか」な現象でしかない。

コドモらに朝5時起きを強いて身支度させるのは、確かに並なことではありませんよね。
私も小学生の夏休み、車で遠出するため午前3時半にたたき起こされたことは忘れませんもの。そもそもハンドルを握る父が渋滞大っ嫌い人間だったせいですが、バカンスシーズンには「ウチのテレビで渋滞情報を見ながら飲むビールはまことにオツである」などと、よく申しておりました。

帰省スタイルに変革はあり得る?

「お盆くらい、帰ってらっしゃい」という親(特に母親)のひと言は、強烈な郷愁を誘う魔法のワードなのだろうと、東京出身の私は例によって想像します。
お盆はそのように、ご先祖に思いを馳せ、家族や親戚が自然に集える貴重な機会。よって、お盆なんか無くていいなどとバチ当たりなことは申しません。
しかし、孫の顔を見せに夫の実家へ“行かなければ”系の嫁ミッションに苦しむ妻側の負担について、あと少し配慮のある世の中になるには、まだ時間がかかるんでしょうかねえ。

満員電車での通勤のように、当たり前とされてきたことに疑いを持ち始めた、あるいは真理に気づいてしまった瞬間、以前には戻りたくなくなるのが人間のサガ。そこから時差通勤や在宅ワークなど、すぐの実現は難しくても意識が向き始めたのは大きな一歩でしょう。

同様に、従来のような〈半日覚悟の渋滞付き!長距離帰省ツアー〉の復活を待ち望む人が、はたしてどのくらいになるのかという話をすべきなのです。
ソレお盆だ、ヤレ正月だと、ドド~ッと大挙して同じ行動を取ることは、今後はどのみち密回避の観点から難しくなるでしょうし。

テンプレに沿って行動するのはラクですが、中には時代に合わなくなった習慣や、なぜそうするのか誰も説明できないルールって、実はいっぱいあるのです。
そういう終わったモノに固執してもリターンは無い。そう思ったほうが、どう見ても賢明だし現実的なのではないかしら。

Sheila