12. 若いということの付加価値

最年少記録の裏にある“ファクターX”

折しも本稿執筆中の今、18歳の天才棋士、藤井聡太棋聖が二冠を狙う、第61期王位戦第4局の対戦中です。対戦相手は47歳の木村一基王位。今回ソータ君が勝てば、二冠獲得と昇段の史上最年少記録を更新して……と、要するにドえらいレベルの偉業達成目前、ということですね。

こういうとき、世間はたいてい若いほう、今回なら藤井棋聖に肩入れする側につきます。マスコミは報道倫理の手前、木村王位にも精一杯配慮してるんだが、気を遣うほどわざとらしさが香ってきてどうもね。だって対戦日の昼ごはんメニューだのファッションだの、木村王位だけなら誰も話題にしませんもの。

有史以来、人間というやつは何かを成し遂げた年若い人物に対して、常軌を逸した反応を見せる性質があることは否めないようです。年端のいかない子どもが大人顔負けの知識や技を披露したとき、人々はそこに天賦の才という神性を見出すからかも知れません。
けれどそれだけではない何か、つまり大衆の関心を惹きつけて熱狂させる、謎の“ファクターX”と呼ぶべきものが、若い天才の中には必ずある。と、私は思い至ったのです。

若さの“絶対善”に勝てるヤツなどいない

若い人は元気だし、目が澄んでいてお肌もツルツル。これでルックスも良ければ、人気が出ないわけがありません。それより何より、社会に出る前で経歴がキレイなことも大きな強みでしょう。探られて困る黒歴史が無いとは、何という幸せ!
つまり“ファクターX”とは、世間の垢にまみれきった連中が決して真似できない、“絶対善”的な付加価値こそがその正体であり、それは時に山をも動かす強大なパワーを有するということを言いたいわけなのです。

かつて宇多田ヒカルが15歳でメジャーデビューしたとき、世間は驚天動地の大騒ぎでした。
もっと最近なら、同じく15歳で環境保全活動を始めたグレタ・トゥーンベリとか。いまいち人気ないけど。ああその前に、17歳でノーベル平和賞受賞の人権活動家、マララ・ユスフザイという人もいましたっけ。
年若い身であることは、それだけでイヤでも注目を集めてしまうんですね。

ちなみに、同じことを40代以降でようやく達成すると、“苦節××年”とか“遅咲きの~”といった浪花節フレーズを勝手に被せられ、古い写真と共にライフストーリーをバラされて、いいこと一つもないように見えます。“中年の星”と持ち上げられて嬉しいかどうかも正直ビミョーだよなあ。って、余計なお世話でした。

忘れちゃいけないのは、どんなに若くして騒がれた人も、やがては必ず“いい歳した大人”になり、その先の人生のほうが長いということです。
愛らしかったアイドルも、世間を瞠目させた天才子役も、ハタチ過ぎればそれなり帳尻が合い、新たに仕切り直しての勝負が始まる。世の中、案外うまく出来てると思いませんか。

Sheila



11. 渋滞はビールの肴でしかない、という話

渋滞中継が消えた日本の夏

この夏がいかに特異であったかは、高速道路の渋滞情報が無かったことで十分に伝わります。
わが国では大人の夏休みがお盆に集中しがちですが、あれほど渋滞が事前に分かっていながら、なぜ皆が一斉に家族で出かけるのか。純粋に、昔から不思議でした。

道路には、サグ部や料金所などいくつかの渋滞ポイントがあります。しかし、夏はお盆、年末年始は正月に、多くの人が照準を合わせて行動することも大きな原因です。
数十kmにも及ぶ渋滞にはまることについて、「誰も好きでやってるわけがないだろ!」とお怒りの向きもありましょうが、客観的に見てですね、「それ、好きでやってるんでは」と映る可能性は十分ありますよ。あるいは、「なーにこれも帰省の醍醐味さハハハ」と楽しんでるとか。どちらにせよ、傍観者にとっては「やれやれ、またか」な現象でしかない。

コドモらに朝5時起きを強いて身支度させるのは、確かに並なことではありませんよね。
私も小学生の夏休み、車で遠出するため午前3時半にたたき起こされたことは忘れませんもの。そもそもハンドルを握る父が渋滞大っ嫌い人間だったせいですが、バカンスシーズンには「ウチのテレビで渋滞情報を見ながら飲むビールはまことにオツである」などと、よく申しておりました。

帰省スタイルに変革はあり得る?

「お盆くらい、帰ってらっしゃい」という親(特に母親)のひと言は、強烈な郷愁を誘う魔法のワードなのだろうと、東京出身の私は例によって想像します。
お盆はそのように、ご先祖に思いを馳せ、家族や親戚が自然に集える貴重な機会。よって、お盆なんか無くていいなどとバチ当たりなことは申しません。
しかし、孫の顔を見せに夫の実家へ“行かなければ”系の嫁ミッションに苦しむ妻側の負担について、あと少し配慮のある世の中になるには、まだ時間がかかるんでしょうかねえ。

満員電車での通勤のように、当たり前とされてきたことに疑いを持ち始めた、あるいは真理に気づいてしまった瞬間、以前には戻りたくなくなるのが人間のサガ。そこから時差通勤や在宅ワークなど、すぐの実現は難しくても意識が向き始めたのは大きな一歩でしょう。

同様に、従来のような〈半日覚悟の渋滞付き!長距離帰省ツアー〉の復活を待ち望む人が、はたしてどのくらいになるのかという話をすべきなのです。
ソレお盆だ、ヤレ正月だと、ドド~ッと大挙して同じ行動を取ることは、今後はどのみち密回避の観点から難しくなるでしょうし。

テンプレに沿って行動するのはラクですが、中には時代に合わなくなった習慣や、なぜそうするのか誰も説明できないルールって、実はいっぱいあるのです。
そういう終わったモノに固執してもリターンは無い。そう思ったほうが、どう見ても賢明だし現実的なのではないかしら。

Sheila

10. ファッションに賞味期限表示が付く日

一生モノか、消耗品か

戦時を経験した世代がおしなべてそんな感じであるように、私の母もまたモノを捨てないのはもちろん、“良いモノは一生モノ”の考え方を最後まで捨てませんでした。
こと衣類に関しては、結婚前に仕立てたワンピースや重たいウールのスカートをずっとしまい込んでいて、処分に困ったものです。

もっとも、今のように安価な既製服が量産される市場環境の無い時代には、服は自分で縫うか、仕立てを頼むしかありませんでした。だから戦後、幼な子を抱えた多くの女性が洋裁で生計を立てたのは、非常に現実的かつ合理的な手段だったのだと思います。

一方、現代のファストファッションはサイクルが加速の一途で、まるで使い捨てさながらに、旬の寿命が短い! ひと夏は異常にヘビロテしたトップスが、翌夏には何だかしっくりこない、早い話が“アガらない”アイテムになり果てていたという経験、ありますよね?
クローゼット内にある購入後1~2年着ていない服は潔く処分を、のルールも、いい加減アップデートしないとまずいのでは。

トレンドの終焉は誰が決める?

40代以降の女性の大半がぶつかる、“リアルクローズの壁”が厄介なのは、体型変化だけでなく、ファッション全般の“賞味期限問題”と、イヤぁな具合に絡み合っていることも一因です。
そこへブランドや値段がどうとかの個人的事情が、とてつもないジレンマを生み出しているケースもあるでしょう。
かと言って、何もかもワンシーズンで着倒して処分しちゃえってのも、分別ある大人のすることじゃない気がして、苦しい。苦しいですよねそりゃあ。

でもね、今の服たちは、体型変化や生地の劣化、はては流行すらも無関係なところにある“何か”の作用で、その役割をさっさと終えてしまってるのです。
2年前のパーカーを着てるだけで即イタいオバさん認定される世の中を恨んでみても始まらない、今はそんな時代なのです。

コロナの打撃が深刻なアパレル業界は、購買促進の一環として、製品に〈賞味期限タグ〉を付けてくるかも知れません。完全に想像ですが。トレンドの期限なんて他人から指図されたくないわと言うそばから、期限切れ表示には敏感に反応する人って、意外と多いと思います。これも想像。
古い服への未練を断ち切るモチベになって、案外すんなり普及しちゃったらそれも怖い気がしますけど。

カタチが有って無いようなファッションの〈概念〉との付き合い方が、今後どう変容していくのか。嵐に巻き込まれないよう、一歩引いて物陰からそっと経過観察するとしますか。

Sheila