見えない力は使いこなしてこそ
季節の移り変わりにしみじみする余裕もないまま、9月になりました。
誰かが「2020年9月には社会の大変動が起きる!」的にアジってますが、まずは深呼吸を。
良く観察していると、騒ぐ人は占星術やら暦、干支などあらゆる占術の読みをミックスアレンジしていて、しまいには「今日は乙女座満月で天赦日のスペシャルデー!♪」とかウキウキなさってるだけ。勉強熱心さは敬服の限りですが、ほぼ毎日が何らかのイベントという生活、さぞお疲れでしょうね。
春分や秋分が、昔から大きな“節目”とされてきたことは、意味の無いことではありません。
しかも昨今の状況に加え、夏休みが終わって社会が通常モードに戻ったタイミングでは、変化の一つも無いほうが不自然です。
だからこの際、縁起のいい物事なら何であれあやかろうってことなら、それも自由です。インビジブルパワーの後押しが必要なときがあるから、こぞって初詣にも行くんだし。神社に参拝後、お隣のお寺さんにもお参りしちゃったりとか、ありませんか?
なーに、我々はこの節操の無さにどれだけ救われてきたかって話ですよ。ましてやこのご時世、心の安寧を得ることは、防災グッズ一式入りリュックを買うより先にすべきことのような気がしますが。
満月の昼下がりに……
9月に入ると毎年よぎるのは、オフコースの「♪ああ早く~、九月になれば~Wow Wow……」(「I LOVE YOU」1981)なんだけど、調べたら同フレーズの音楽や映画がけっこうあって驚いた次第。
榊原郁恵「9月になれば」は、奇しくも同年の1981年リリースでした。狂騒の80年代が最初にアクセル踏み込んだようなタイミングですかね。みんなみんな若かった。
ハリウッド映画の“Come September”(1961)の邦題は「9月になれば」。主演のロック・ハドソンとか、今の現役世代にはいちばん距離感のある“映画スター”かも知れません。
60’sのハリウッドは、それまでの黄金期とここからのカウンターカルチャーが入れ替わる、上を下への激動期。なので、同作はお気楽系ジャンルの最後の光芒、みたいなロマンチック・ラブコメというわけです。
ちなみに、相手役の女優ジーナ・ロロブリジーダと言えば。だいぶ後ですがレストランでの食事中、料理に混入した石で歯が欠けてしまい、損害賠償がどうのとかいうつまんない話を、わりとしょっちゅう思い出すんですけどどうしてでしょう。
人が、“何時々々になれば~…”と言うときはたいてい、何がしかの期待や希望的観測を込めているものです。きっとラクになるとか、事態が好転するとか。良くならなくても、何かが変わるかすることに光を見出してきたわけで父さん。
例によって、根拠のない流言飛語に気をつけながら、今宵はお月様のお恵みのオコボレに与りましょうか。
ちなみに、本当の満月は本日9/2の午後2:22。日付といい、2が4つ並ぶゾロ目が意味ありげで、ホノカに意識はしていたのです、実を言うと。ところが、空がにわかにかき曇り……わざわざゲリラ豪雨とか降らさんでもいいのにねえ。これも何かのご神託?
Sheila