アナログのカラー写真は昭和の残滓か
実家の片付けをする中で思ったのですが、一番地味だけど時間と労力を食うのが、古い写真の整理だと断言いたします。
我が家の未整理写真は、親戚や知り合いから送られたものも結構な割合を占めていまして、これが手紙と一緒に元の封筒に入ったままの姿だったりするために、かさばる原因になっているのです。
どこぞの山での集合写真も、海を背にしたスナップ写真も、せっかく送ってくださったものではあるけれど、けれど、……ゴメン、他人の思い出や記録はもう、心を鬼にして処分箱行き。
親族や仲間の集まりで、記念写真やスナップを撮った人は、後日、関係者に配るのが礼儀というか責任だ! みたいな空気、かつては確かにありましたよね。
フィルム写真は現像や焼き増しに手間とおカネがかかったから、どことなく“貴重”で“ありがたい”特別なもの。だから、“もらった人は喜ぶものである”という前提があったのです。
そして写真を焼き増しして配る行為は、思い出を共有するための善行と言いますか、功徳を施すのに似た心境だったのかも。想像ですが。
ちなみに私の友人の場合、「写真送るね!」と言って別れても、実際に送られてきた記憶ってあんまりない……やはり親世代の律義さにはかなうわけがなく。
ただ、写真に写るのが嫌いな私は、そのままスルー&フェードアウトでむしろ好都合だったりもします。
簡単にやりとりや拡散ができるデジタル画像とは全くもって異質な、重くて大きな付加価値が、あの頃のアナログ写真には備わっていたのでしょう。
自分と無関係な写真でさえ簡単には処分しにくい理由も、そのへんから説明できそうです。
モノクロ再評価の時節到来!
新卒で入った会社での話。社内行事のスナップ写真を勝手に撮って焼き増しし、どんなに端っこで小っちゃくでも写り込んでる人全員に配り回った専務がいました。これだけなら単に親切な人ですが、そのあと各自に写真代を5円単位で請求してきた……なぜ人望が無かったかが良く分かるエピソードです。
1970年代以降、昭和後期のカラー写真は劣化の激しさに愕然とします。色が飛ぶどころの騒ぎじゃなく、全体に黄色く褪せてボンヤリと不鮮明。自分の存在が消え始めてショックを受けるマーティ・マクフライ気分ですよ。
一般的な写真がカラーに移行していった時期が子ども時代にあたる、つまり現在50代以上の人は、思い出の写真のほとんどが、残念ながらそのようになっている可能性が高いと思われます。
ネガが残っていたら、デジタルスキャンという道もまあ、残されてはいますが……。
そこからすると、モノクロ写真の保存性の素晴らしさは賞賛に値します。
古い映画のスチール写真など、鮮明なモノクロは古びることがありません。フォトアートにしても、時にカラーをしのぐ雄弁さと芸術性は、圧倒的な訴求力を持っています。
両親の若かりし頃のモノクロ写真も全く同様で、不思議なタイムリープ感覚を味わってしまいました。こんなことだから、なかなか片付けがはかどらないんですけど。
色を取り去った後に残る“本質”の部分は、時間の軛からも自由だということでしょうか。
だとしたら、大切な記憶や忘れたくない思い出は、モノクロ状態で保存されているのかも知れません。
Sheila