35. “あの袋”が語る、そのこと

たかが/されど、の紙袋

11/19のこと、米津玄師「カナリヤ」のMVが、You Tubeにアップされました。
この8月リリースのアルバム『STRAY SHEEP』のラストに収録されている、コロナ禍で彷徨い続ける人々の心情を活写した、聴くほどに胸が痛むナンバーです。

是枝裕和監督とタッグを組んだだけあって、ショートフィルムを思わせる完成度ですが、そのあたりの評価は他の方々にお任せします。
私が個人的に刺さったと思うのは、田中泯が演じる老齢男性が独り河原を歩くシーンで、その手に提げられた“紙袋”です。


自身や家族に入院経験があれば一目瞭然なのですが、同MVのあの手荷物は、明らかに〈死亡退院〉を表現しています。
無事快復しての退院なら私物は自分で持ち帰ることができますが、死亡退院となった場合は家族が引き取らねばなりません。
実はこれ、当たり前で何でもないことのように見えても、家族にとってはなかなかに辛いことなのです。

自宅に戻っても、故人となったその人が帰ってくることは、もう二度とありません。
持ち帰った品々を使う人は、もうどこにも居ないのです。

それでも気力を振り絞って荷物を開けると、寂しさややるせなさ、無力感が、深い疲労とともに一気に押し寄せてくる。
タオル一枚、歯ブラシ一本に、闘病中のやりとりやエピソードがありありとよみがえり、死の事実をまだ受け入れ難い気持ち、あるいは夢と現実の境目がぼやけるような感覚に見舞われる……

with コロナの“本当のリアル”とは

新型コロナの残酷さは、大切な人を看取る機会さえ容赦なく奪うところにあるのではないでしょうか。
どんな人間にも最後に一つだけ残されているはずの、“弔い弔われる”尊い権利までもが、あっという間に蹴散らされていく。その見えない敵の狼藉への激しい憤りと悔しさ、強烈な哀しさを、同MVは一瞬のカットで巧みに表現していました。

演出において、あの紙袋を誰がどんな意図で用意したのか、訊いてみたいものです。
昔からコンビニや駅売店などで売っている、ビニールカバー付きの大きな手提げ袋、というところがまた実によく分かっている。これはフィクションなんかじゃなく、身近に起きている現実なのだと訴えるのに、これほど効果的な小道具が他にあるでしょうか。


死亡退院で持ち帰った手荷物の品々は、故人と家族とのあらゆる葛藤の象徴として、遺された者たちを揺さぶり続けます。
予定調和なドラマでは決して描かれないところにこそ、真実はあるのです。
主なき“あの袋”の中の品々が放つ声なきメッセージを、黙って受け止める。そこまでが家族に課せられた、看取りの仕事という気がしています。

Sheila