30. 〈他人軸〉のルーツはこんな所にもあった

悲壮感にくるまれた女たちの持病

NHKの朝ドラは、昭和を中心とした主人公の一代記が圧倒的に多いため、戦時中の描写は避けて通れないのが宿命なのでしょう。
現在放送中の『エール』も例外ではなく、特に〈国防婦人会〉(以下〈国婦〉)という戦時コンテンツが外せない要素としてインパクトを残しました。

歴代作品を振り返っても、ジブンらしく生きたいヒロインの対立軸として、白かっぽう着にタスキがけの女性集団が登場するシーンは、もはや共通のお約束です。
全員が異様な“制服”で身を固め、華美な装いや化粧などはもってのほか、我々こそが絶対善であるとの悲壮なる信念のもと、憲兵並みに硬派な態度でゴリゴリ圧をかけてくるんですよねえ。ぐわああ。

当時、“銃後の守り”のスローガンのもとに、一般家庭の婦人がなぜああまで強固に結束できたのか、そこには尋常ならざる時代の思想統制や、ドラマ演出上の誇張表現も念頭に入れる必要はあるでしょう。
しかし視聴者をモヤッとイラっと、そしてげんなりさせるのは、毎度コワい女たちが束になってヒロインをいじめて孤立させるから、だけではありません。

贅沢は素敵なのに

あのねえみんなそれどころじゃなくてガマンしてるのに、アナタだけ何なのよ。贅沢は敵だって知ってるわよねえ。みんなお国のために必死で頑張ってるのにアナタだけ好き勝手にふるまうって、それ非國民のすることよ。ああそうなのそーいうつもりなら通報するしかないわねえだってみんなと同じにしないアナタが悪いのよ……

……何これ、何か強烈な既視感……今、マスクせずに外出しようもんなら、同じ目に遭いそうですよねえ。
つまり〈国婦〉的な活動は、戦時という狂気の時代に限った話ではなく、今でも〈国婦〉体質な人物は一定数存在する、という事実にご注目いただきたいのです。

とにかく根が真面目すぎるのは百歩譲るとしてもだよ。ルールを死守し、ちょっとの逸脱や異論も絶対に許さないって、どういう世界観で生きてるのか。連帯感にこだわって、制服だのアイテムだのの“お揃い”が好きすぎるってのも共通してるし。

そのうち無意味な暗黙のルールがどんどん増えて、自らががんじがらめになっても、誰一人異論を唱えない。果ては違反者に制裁を加えるとか暴走するあたり、ママ友やPTAの悩み相談かと思うじゃないですか。
いわゆるコロナ感染者への誹謗中傷も、あれは性別不問で“国婦病”をこじらせきった輩の狼藉と考えると納得がいくわけで。
まあはっきり申し上げて、迷惑ですよね。

社会学では、〈国婦〉的な気質はそのまま“B層”と呼ばれるクラスタに当てはまります。
テレビの報道ならほぼ信用しちゃう、セレブの薦めには秒で飛びつく、人気スポットでは何時間でもおとなしく並んで待つ……等々、いわゆる〈他人軸〉の好サンプルですね。
公権力への盲信傾向と他律性が顕著な〈他人軸〉は、まさに〈国婦〉気質のアップデート版にすぎない。そのように見えてこないほうが、どうかしてます。

〈他人軸〉が敗北を喫したあの日

戦時中の〈国婦〉メンバーが、大本営発表をどこまでピュアに信用していたかは謎ですが、ある程度意識的に「信じることにして」いなければ、強い不安のもとでモチベーションを保つことは難しかったでしょう。
ただそこを酌んだとしても、国民の大半がお上に盲従し、沈みゆく船から逃げ出すことがついに無かった過去を持つのが、日本という国なのです。あの敗戦の悔しさとやるせなさの根源は、疑念を抱きながらも〈他人軸〉な価値観にすがるしかなかった哀しき国民性にもあるように思えます。

もう一つ。当時は軍部が〈国婦〉をおだて上げて巧みに利用した側面も忘れてはいけません。言い換えれば、これほど御しやすい存在を利用しない手は無かった。ここは非常に大事な部分として強調しておきます。

そして現代の“B層”もまた、同じ理屈で常にお上からタゲられてるんだけど、彼ら彼女らはまず気づいてない。いやそれ以前に、とても忘れっぽいので、失敗から学ぶとか期待するだけムダなんですよね。

今回の朝ドラでは、俗に言う“コロナ後の二極化”が、図らずもベタな形で可視化されました。この天啓にも似た体験のおかげで、マジで1年前にすら戻りたくない、あれは戻っちゃいけない世界なのだと、心底思わずにいられない私です。

Sheila

◆参考文献:適菜 収『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』(講談社α新書)他