25. ジャズで踊って今宵も更けゆく

夜の帳に溶け込む音楽

秋の夜長、ゆったり系ジャズを延々と流してくれる動画チャンネルが人気です。
コロナ規制で気楽に飲みに行けない人が多いこともあってか、自宅に居ながらバー気分に浸れるとあって、評価は上々。ピアノ+サックスのスローテンポなコンテンポラリージャズは、やはりミッドナイトがふさわしい。なぜかカタカナいっぱい。

居酒屋は気軽に行けても、小じゃれたバーとなると、慣れない人には若干ハードルが高いと感じるかも知れません。何かこう、分からないなりに独特の“しきたり”の存在を想像してしまい、勝手に気後れするんですよね。
それ、半分は妄想で半分は事実ですが、そのくらい気配りができる人なら大丈夫です。

一般的なバーは、高級料亭みたいに客を選ぶわけじゃないので、ビギナーさんはまず地元のお店をのぞいてみてはいかがでしょう。気さくなアットホーム系とか、照明をうんと落とした大人系とか、店によって個性もいろいろ。ポイントは、自分と相性が良くて居心地がいいかどうかで選べばOKなのです。

なお商店街の場合、バーは小さな雑居ビルの地下もしくは3階以上とかが多いので、看板を丹念に見て探しましょう。意外にたくさんあったりします。

基本は静かに飲みたい大人が来る場所なので、先客への配慮とか、常識的なマナーはもちろん必要です。けれどごくまれに、何らかのきっかけで知らない人と意気投合することもあります(特定のスポーツファンの店等は除く)。
狭い空間ならではの距離で生まれるコミュニケーションスキルは、リモートじゃどうやっても磨かれません。

甘く危険なカクテルの罠

それでもバー飲みのハードルが高いと感じるなら、理由の一つはカクテルのオーダーの難しさにありそうです。
入った店の雰囲気が厳しそうに感じたら、とりあえずはメニューにあるものを頼むことで切り抜けましょう。大事なところで急に弱気になってスマンこってす。

というのは、バーテンダーにカクテルを頼む際、「分からないのでお任せします」は超絶的に失礼で最低最悪な注文の仕方だ、とさんざん聞かされながら、こうするのがいいとのアドバイスは一向に得られていないからです。
常連相手に成り立ってきた商売ゆえ、今さら野暮は言いっこなしの世界なのかも知れません。しかし、バー文化への理解を求めるのなら、業界側ももう少し親切に歩み寄ってくれても損はないと思うんですがねえ。

カクテルの知識や流儀を学ぶ機会なんて、ヘタしたら一生無い人だって居ます。なので、まごついた客が困って丸投げしてきたからってヘソ曲げるとか、あまりに自分目線じゃないかって話ですよ。スープを残すと怒るイヤミなラーメン屋と同じニオイがしまっせ。


女性向けと称したカクテルは、女性を酔わせて口説くための酒であり、口当たりが甘くても強めなので飲みすぎないように、なんて大昔に言われたのをフト思い出しました。
まあ、時代が若かったというか、いかにもバブリーなシチュエーションで笑っちゃいますが。

今の若い人には、イザというとき、お気に入りカクテルをスマートにオーダーできるよう、今のうちにトレーニングを積んでおくのはムダじゃない、とだけ言っておきます。
ジャズを流せばほら、その場は一瞬でバーチャルバーに早変わりするんですから、ホントに。

Sheila

24. 思い出はモノクロームがいい

1970年代の表参道

アナログのカラー写真は昭和の残滓か

実家の片付けをする中で思ったのですが、一番地味だけど時間と労力を食うのが、古い写真の整理だと断言いたします。
我が家の未整理写真は、親戚や知り合いから送られたものも結構な割合を占めていまして、これが手紙と一緒に元の封筒に入ったままの姿だったりするために、かさばる原因になっているのです。
どこぞの山での集合写真も、海を背にしたスナップ写真も、せっかく送ってくださったものではあるけれど、けれど、……ゴメン、他人の思い出や記録はもう、心を鬼にして処分箱行き。

親族や仲間の集まりで、記念写真やスナップを撮った人は、後日、関係者に配るのが礼儀というか責任だ! みたいな空気、かつては確かにありましたよね。
フィルム写真は現像や焼き増しに手間とおカネがかかったから、どことなく“貴重”で“ありがたい”特別なもの。だから、“もらった人は喜ぶものである”という前提があったのです。
そして写真を焼き増しして配る行為は、思い出を共有するための善行と言いますか、功徳を施すのに似た心境だったのかも。想像ですが。

ちなみに私の友人の場合、「写真送るね!」と言って別れても、実際に送られてきた記憶ってあんまりない……やはり親世代の律義さにはかなうわけがなく。
ただ、写真に写るのが嫌いな私は、そのままスルー&フェードアウトでむしろ好都合だったりもします。

簡単にやりとりや拡散ができるデジタル画像とは全くもって異質な、重くて大きな付加価値が、あの頃のアナログ写真には備わっていたのでしょう。
自分と無関係な写真でさえ簡単には処分しにくい理由も、そのへんから説明できそうです。

モノクロ再評価の時節到来!

新卒で入った会社での話。社内行事のスナップ写真を勝手に撮って焼き増しし、どんなに端っこで小っちゃくでも写り込んでる人全員に配り回った専務がいました。これだけなら単に親切な人ですが、そのあと各自に写真代を5円単位で請求してきた……なぜ人望が無かったかが良く分かるエピソードです。

1970年代以降、昭和後期のカラー写真は劣化の激しさに愕然とします。色が飛ぶどころの騒ぎじゃなく、全体に黄色く褪せてボンヤリと不鮮明。自分の存在が消え始めてショックを受けるマーティ・マクフライ気分ですよ。
一般的な写真がカラーに移行していった時期が子ども時代にあたる、つまり現在50代以上の人は、思い出の写真のほとんどが、残念ながらそのようになっている可能性が高いと思われます。
ネガが残っていたら、デジタルスキャンという道もまあ、残されてはいますが……。

そこからすると、モノクロ写真の保存性の素晴らしさは賞賛に値します。
古い映画のスチール写真など、鮮明なモノクロは古びることがありません。フォトアートにしても、時にカラーをしのぐ雄弁さと芸術性は、圧倒的な訴求力を持っています。
両親の若かりし頃のモノクロ写真も全く同様で、不思議なタイムリープ感覚を味わってしまいました。こんなことだから、なかなか片付けがはかどらないんですけど。

色を取り去った後に残る“本質”の部分は、時間の軛からも自由だということでしょうか。
だとしたら、大切な記憶や忘れたくない思い出は、モノクロ状態で保存されているのかも知れません。

Sheila

23. 台風去ってもユーウツは去らず

台風明け出勤の“お作法”とは

昨夜から今朝にかけて、強い勢力の台風10号が九州地方に最接近しました。
台風だけはコロナをものともせず、今年も日本へGo Toするつもりらしい……むしろこれからがシーズン本番なので、あと2ヵ月ばかりは覚悟して用心しないといけませんね。

都会の勤め人にとって、台風や大雪などの気象災害と出勤ストレスは、大きな労働問題です。
だって首都圏での台風明けなんてのは、公共交通機関がほぼストップすんのよ。動いてても徐行運転でノロノロだし、やっと来た電車は超満員で乗れやしない。次の電車も、その次も。延々並んで見送って、ホームは人で溢れて落っこちそうになってさ。ヘトヘトでようやっとオフィスに到着したらもう昼過ぎ。気がつきゃランチを食べそびれてたというオマケまで付いてたりするんだから。……

この問題は一つに、大勢の勤め人が、同時に同じマインドで同じ行動をとることにあります。
朝は“少し早めに”家を出て、駅に行ったらやっぱり電車は遅れてる。乗れたはいいけど、1ミリも動かない車内ですし詰め状態……これでオフィスまで我慢してるんですよね、みんな。これを拷問と言わずして何と言うの。

本音では誰もが、こんな無駄で無意味なことアホらしくてやってらんねーよなとか、気づいてはいるんです。でも、ケンカや対立で面倒起こしてクビなんてイヤだから、波風立たないよう、一応みんなと同じにしとくんだよね。しょうがないよね。宮仕えはツラいね。

ただ、何が気持ち悪いって、この一連の行動様式は全て、「ホラ私、こうしていつも通りに出社しようと頑張ってるでしょ?」とアピールするための、ジェスチャーだってことです。
日本人は、カタチから入ることにあまり抵抗を感じないこともあるんでしょう。形式を踏襲しつつ、その奥にある本心を「分かってください」は、まさにお家芸なのです。
気象災害時における通勤の“お作法”も、日本の奥ゆかしき〈○○道〉の一つに含めてはいかがでしょうか。

這ってでも来いとか言ったヤツ、出て来いや

いやいや、そう悠長に構えてる場合じゃない。この、見えない部分でこじらせた承認欲求というか、卑屈さに根ざした社畜根性がここまで育った原因は何なのか?
それは考えるまでもなく、台風だろうが大雪だろうが「とにかく来い」と指示する人間こそが、諸悪の根源に決まっています。

タクシー代を支給するでもなく、「何が何でも定時に来い、這ってでも来い」とか、すいません意味分かりません。食い下がったところで、「それが社会人の務めだ」あるいは「つべこべ言うな」系の頓珍漢な根性論を平然と返しよる。何なんですか馬鹿なんですかと。

そのような悪しき伝統を何の疑問もなく受け入れ、脈々と守り受け継ぐ土壌が、この国には確実にあったことも事実でしょう。
その結果、非科学的で封建的な“いいから来い”社会、簡単に言えばブラック企業が生まれたというわけなのさ。

こんな風に、誰も幸せにしない社会風土に嫌気がさしていた人、これからはアナタの時代かも知れません。
あらゆる無駄や矛盾の洗い出し&問い直しが始まった今、社会の健全な発展を阻害しそうな存在は、どのみちジリ貧だからです(強め)。
とりあえず、ワーカーを悩ます台風関連の通勤問題は、〈新しい日常〉を構築するとっかかりとして、最優先で俎上に載せるに十分なテーマであるとだけ、強調しておきます。

Sheila