20. モノを言うのは目か口か

東西マスク論争の着地点

我々がなぜ、顔の一部になるくらいにマスクと親しんでいるか、それは一義的には「感染しない/させない」ためですよね。
ただその背景には、「ハイこの通り、私はその点を十分意識していますのでよろしく」という、“姿勢”についての承認欲求を巧みに隠した、いかにも日本的な以心伝心での横並び裏メッセージが込められています。
この特殊なメンタルのありようこそ、海外の秀才識者がどんだけ束になって考えても、まず到達できない真相だと思うんですがどうでしょう。

アジア人は目を隠すほうが不安を覚える、だからサングラスはNGだがマスクならOKなのだとか言いますが、我々がそこまで相手の目を見てコミュニケーションしているかというと、いやそれは違うだろと。むしろ、相手を凝視するのは失礼にあたるから、視線は適度に外すのがオトナの礼儀だと教わるくらいだし。

かたやドイツでは、マスク着用の義務化が人権侵害にあたるとして、一部の人々が抗議デモを起こしよったのだそう。感染予防が目的であっても、マスク着用の“強要”が自由の侵害につながる、とはずいぶんな論理の飛躍にも見えます。確かに呼吸はしにくいし、慣れない人が不快な違和感を覚えるのは自然なことなのかも知れませんが。
猛暑で熱中症がヤバかろうがマスクを外さない日本人とは、よって立つ位置から何から、まるで違うってことですね。

サングラスがあと一歩、浸透しないワケ

欧米人は虹彩の色が薄く、黒い眼よりも太陽光で傷めやすいから、サングラスは必需品。この医学的根拠を待つまでもなく、サングラスはファッションアイテムとしても眼の健康を守るツールとしても、驚くほど進化しています。

日本でもおしゃれな人には人気ですが、どこか構えてしまうのか、はたまた照れくさいのか、もう一つ気軽な“こなれ感”に届かない印象が……UVの有害性を必死に説いても、一向にハードルが下がらないのって何でなの。カッコいいのに残念。
もしか、“慣れないモノ”を受け入れ難いのだとしたら、マスクに拒絶反応を示す一部ドイツ人の心境とどこかで通じているのかも?

映画やドラマで永遠の定番となったサングラスは、まず『ダーティハリー』(1971年)でC・イーストウッドが着用したレイバン〈バロラマ〉。やや最近ならドラマ『CSI:マイアミ』(2002~12年)でケイン警部補のアイコンにもなった、シルエット〈TMA〉を推したい、個人的に。
女性部門なら、『ティファニーで朝食を』(1961年)でA・ヘップバーンを輝かせた、ごっつい黒ブチのレイバン〈ウェイファーラー〉以外に無いでしょう。

つい先日、渡哲也氏の訃報で思い出したのですが、『西部警察』の大門圭介と例のサングラスの組み合わせは、殿堂入り決定ですね。日本人には高難度のティアドロップ型が、いかにもあの当時の空気感(自由に想像してください)満載の強烈さで迫ってくる。
ちなみに最近の同タイプはデザインもずいぶん洗練されていますが、今、ヘタに金ブチとか気取ると「西部警察コス?」とイジられるとの情報があるので、取り扱いにはくれぐれもご注意を!

Sheila



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